昭和49年08月22日 朝の御理解



 御理解 第36節
 「日本国中のあらゆる神を、みな信心すると言うが、それはあまりの信心じゃ。人に物を頼むにも、一人に任すと、その人が力を入れて世話をしてくれるが、多くの人に頼めば、相談に暮れて物事はかどらず。大工を雇うても、棟梁がなければならぬ。草木でも芯というたら一つじゃ。神信心もこの一心を出すと、すぐおかげが受けられる。」

 昨日の朝の御理解に、歓天喜地と言う事を頂きました。天の歓び地の喜びと。いうなら、神も助かり氏子も立ち行くと言う様な意味なんです。所が昨日私改めて有り難いと思いましたことは、どうして難しい歓天喜地などと言う様な言葉を使って教えて下さったのだろう。いわゆる金光教的な、神も助かり氏子も立ち行くというだけでよかろそうなものだという感じがしたんですけれどね。けれども成程歓天喜地でなからなければ、次の御理解が生きて来ないと言う事を感じました。
 と言うのは御理解を頂き終わってしもうてからでしたけど。また同じくカンテンキチと言う事頂くんです。それは字が違うんです。カンテンというのは、寒い天と書いてある。寒い、寒中の寒ですよ寒い天。キチというのは危険の危と大地の地ですよ。天と地はだから同じです。だからこの寒天危地というのは、それこそ天地の親神様が、心を寒うされるほどしの、それはなぜかというと、もう危機が迫っておる。地上に危機が迫っておるという事なんです。
 ですから同じ語呂である所の歓天喜地、寒天危地と言う事になるわけです。そこでです、天地の親神様の願いとする所は、勿論歓びの天。神も歓び喜地というのは地は氏子として氏子の喜び。神も歓び氏子も喜ぶと言う様な、神のいうならば理想郷実現。もしそれが一つ間違うたらそれこそ、地球の破滅総人類の破滅と言う様な事にもなりかねないほどしの時期が到来しておる。到来しつつあるんだと。そこを寒天危地と頂いたんだと思うんです。だからお互いがここの所にです。
 私は一つ本当に思いを置いて、今日の御理解を頂いて頂きたいと思います。自分一人が、どうのこうのと言う事じゃないです。私は今朝方お夢を頂いて今朝二時過ぎ三時位迄の間に、色々頂いていた事なんですけれども「日本国中のあらゆる神」と言う様な字句がここに出てきておりますけれども。日本国中所ではない世界中の、あらゆる神が仏がです。合楽示現活動参画と言う事になってこなければならない時だと言う事です。
 昨日私は、お夢の中にね、小倉の初代の桂松平先生。それから福岡の初代吉木栄藏先生。久留米の初代石橋松次郎先生。三井教会初代教会長荒巻弓次郎先生。甘木の初代安武松太郎先生。その方々が全部がです、合楽示現活動に参画するという、この署名を集められるところを頂いたんです。大変な事だなと、私は思うたです。そしてそれから先は、どれほどあるかわからないような、大変な方達がです。
 いうならば、署名運動というですか、私も合楽示現活動に参画するという、またはどうぞお願いしますという、または参画させて下さいという、いわゆる神々達がです。一杯私の周辺に集まられたお夢でした。もう私はびっくりしましてね、それで感動してそのまま起きて、いつものようにシャワ-を掛からせてもらったんですけれども。そして今朝のご祈念に入りました。
 日本国中どころじゃないです。もう世界中のですありとあらゆる神仏がです。今の合楽示現活動に参画なさらなければです。また参画させて下さいと願わなければおられないほどしの、大変な事だと言う事です、合楽示現活動と言う事は。なぜかというと、いうなら世界の危機に立っておる今日。そこでですいうならば、天地金乃神様のお喜び、同時に私共人間氏子も喜べれる。
 そしてこういう岐路に立っておる時にです、はっきり有り難い方へ、いうならば真善美の世界という。悪が滅び嘘が滅びそして汚い見苦しいものがなくなっていくような世界が創造されるために、いうなら和賀心時代が創造されるためにです。世界の神仏皆ことごとく、合楽示現活動運動に参画なさらなければ、世界の平和は維持出来ない。今日は私日本国中所ではない世界中のです。
 だから神を拝むというと言う事ではなくてです。私共がこの地球上の総人類が助かっていくと言う事の為に、いうならば神様の世界でも、御霊様の世界でも、人間の世界で、打って一丸になって、この世紀の難儀に取り組ませて頂かなければならないというほどしの、大きな事をです。合楽では個人一人一人の上に、教導を受けておるので御座います、今は。だからその教導を受けて、私共がそういう心持ちになる時にです。神仏と心が通うことになる。共同体です。
 昨日二三日前から言っておりますように、信念共同体です。神仏私共も一体になってです、神仏共同体と言う事が言えるです。そういう一心を今は出さねばならない時です。世界中の氏子が。そこで私が断片的な事を申し上げますから、それを一つ書かれておる方は書いて下さい。まず第一にカンテンキチですね。この二つのカンテンキチを書いて下さい。寒い天危ない地。歓びの天喜びの地。
 寒天危地歓天喜地ですね。そういう一つの岐路に立っておる時ですから、今合楽で唱えさせて頂いておる示現活動に参画するという、なぜ参画しなければならないか。いいですか。「善導よりいでて、合楽」と書いて下さい「善導よりいでて合楽」善い導きを頂いて、合楽と言う事です。いいですか。次にここに「東へ向かって運行する大自然の実相」と書いて下さい。「東へ向かって運行する」運ぶという字と行うという字ですよ。「東へ向かって運行する大自然の実相」いいですか。
 次は「東へ向かって運行する大自然の実相を真理の眼をもって見る時、実相を真理の眼をもって見る時」と書いてください。実相実意の実ソウは相うという字、木偏に目という字ですよ。「実相を真理の眼をもって見る時、永遠なる真そのものである」と。「永遠の真そのものである」と。これはね椛目合楽を通して、合楽になぜこういう、教会が出来たかと言う事をです。もう大変な大きな眼をもって見た時にです、本当に神仏がご覧になって、私どもの心をもって見てもです。
 そういう事実を踏んまえてという意味なんです。もう一遍ふれましょう。「善導よりいでて合楽。ここに東へ向かって運行する大自然の実相を真理の眼をもって見る時、永遠なる真そのものである」と。ですからこういう、いうならば信心を踏んまえて、皆さんは合楽にご縁を頂いておると言う事を、先ず一つ思わなければいけません。大変な時に大変な事を、問題をいうなら難儀を通して合楽にご縁を頂いたが、こういう大変な大きな大活動の始まろうとする、それに参画させて頂くために。
 今日の皆さんがあるんだと言う事です。そういうふうにカンテンキチが一つ、箇条書に書いて下さい。次に善導よりいでて合楽。ここにというですね。次に又一つ「人の助かりを救いの大使命を思えば」と書いて下さい。人の助かり人が救う、救われると言う様な、大きくそれを言うと、世界の総氏子が助かる。世界真の平和または世界総氏子の身の上安全。例えば日頃私どもが唱えておる言葉で言うと、そうなるんです。それを本当に愈々実感としてです。
 人が救い助けられると言う事の為の大使命を、私どもが帯びておるんだ、合楽全体が帯びておるんだと、頂いておるんだと言う事なんです。そういういうならば信念共同体がです、生まれてくるとするとですね。どう言う事になるかと言うと、「燎原の火のごとく勢いをもって広がる」とこう仰るです。いいですか。リョウゲンというのは、火と書いて何々寮という寮ですね。火を書いて燎原と申しますね。ゲンは原さんの原という字ですよ。燎原の火のごとく勢いをもって広がる。
 合楽に一つここに爆弾宣言とでも申しましょうか。合楽極楽宣言と言った様な事はそう言う様な感じです。それを合楽全体の者がです、信念運動体と共同体と言う様な大きな一つの力になって参りましたらです。人が救われ助かると言う事そう言う事の為に私共そういう使命を頂いておるんだという自覚に立ってです。この運動が展開されるならば燎原の火のごとく勢いを持って広がる。いうならば光輪の世界光の輪がです、一石を投ずる所から、その輪が輪をもって愈々世界中に広がっていくという意味なんです。
 最後にもう一つ書いてください。「自由がなく大自由あり」と書いて下さい。自由自在の自由ですよ。「自由がなく大自由がある」そのためには、私共例えば個々の一人一人の自由はなくなるかも知れない。と言う事はねあれを願い、これを願い自分の願いが成就すると言った様な小さい願いではないと言う事です。例えば朝は眠たい。眠たいけどもやっぱり辛抱してお参りをしてくる。そこにはいうならば自由がないです。
 自由と言う事は寝放題、食べ放題仕放題の事をする事が、いうならば自由かもしれません。けれどもそういう自由には、絶対に大自由がないです。これは今の合楽の修行の根源というか、または目当てと言う事になります。根源であると同時に目当てです。私共個人の小さい自由なんかは、神様にお供えしてしもうて、それこそ大自由のおかげの頂けるためのものでなからなければならないのです。
 私は今朝お風呂へ入って、シャワーを掛からせて頂きまして。久し振りというよりも初めてです。私がお風呂から上がった時と同じような感じが、お風呂の中に見られました。私がお風呂から上がった時だけは違うんです。第一タオルが全部キチッと下がっとるとが、奇麗なってしまうです。脱衣場の箱の中が奇麗になるです。お風呂に入ると、キチッと風呂の蓋がしてしまってあるです。
 石けん箱はみんな奇麗に洗い上げられて、それこそ水を切るように、その中に上にはしをかけたように必ず置いてあるです。もう隅から隅まで奇麗に流して、髪の毛一筋散らかっていないです。昨日は最後に誰が入っただろうか。私のあり方をこんなにまで見事に風呂の中に現しておるので、今日は途端に嬉しゅうなった。それからお風呂から上がらせて頂いて、いわゆる二時頃から三時頃までの間に、色々頂いておること、あれを思いこれを思いして、また私は寝巻のまま、三時半というけども実は三時十五分です。
 十五分進ませてありますからね。だから三時十五分の時間の来るまで長うならせてから、私が思うた。本当に極楽の世界というものは、見るもの聞くものが、先ずはそう言うこここそ極楽だなと、例えば私風呂でまた寝間に入って思うた長くなりながら。そして皆さんの一人一人の事をまた思うてみた。合楽示現活動と言った様な活動が始まる。ためには合楽にご神縁を頂いておる方達が、一応は極楽の確認を銘々しなければならないと、こう言うてはおるけれども、あの人の事を思いこの人の事思うてみてです。
 ほんにお風呂にども入って上がった時には極楽だけれども、これにほんに金に不自由しないなら、もっと極楽ばってんと思う人があろうと言う事です。これに体が健康であったら、愈々本当の極楽だけれどもと、思う人があろうと思う。これに家庭の中が拝み合うていけれるような状態になったら、これがもう一つあったら愈々私の家は極楽だけれどもと、色々に思うだろう。一応は極楽の確認が出来ておっても。
 例えばその三つなら三つの事をです。成程不健康な中にも、家庭がいわば不和であっても、お金はその日暮らしであっても、その病気のおかげで信心が出来ます。家庭が円満でないおかげで信心が出来ますというお礼の心は、もう既に私は極楽の中に入れなければならないというふうに、いつも申しますですね。けども本当の極楽というのは、矢張り家庭が拝み合うていけれる。
 健康のおかげを頂き、金銭もその日暮らしではない、それこそ百万二百万な、いつでも銀行の中に入っておると言う様なおかげを頂いた時こそが、私は本当の自由いわゆる大自由のおかげだとこう思うのです。皆さんも実感としてそう言う事がありゃしませんですか。そこでです。私は今日皆さんの一人一人の事を思うて、この人に金の自由を与えたら、この人は本当の意味での極楽になるんだがなと。
 この人の家に本当に家庭なかが拝み合うていけれる。争いのない世界が出来たら、この人の家は、愈々極楽だがなと。いうならそういうものをです、愈々完璧にする事の為にです。本当の極楽を確認する事の為にです。私は先ず一つ自分の自由をなくする修行をなさらなければいけないと思います。あそこに行きたいあれば食べたい。あげな着物ば作りたい。そういうものがです、本当に一つさらさらとお捨てにならないけんです。
 先日から佐田のお婆ちゃんが、壱岐に行かれるという話を聞いた。「七十いくつになって壱岐へんにまで行って、まぁタフな婆ちゃんじゃあるばってん、そげなこつば思いつくところに、まだ助かっとらんな。」と私が思うんです。そら子供が孫が。「さあ行くけん、婆ちゃんも、さぁおいでなさい。」と言うならいざ知らず、自分が一人で若い人達が行くというので、ついて行こうと言う様な気持を、まぁ起こしなさったと言う話を、第三者から聞いたです。
 そういう心が私は大自由をなくするですそういう心は。そしたらいよいよ行かれる時には、大変体がきつくて、諦められたという話を、その後に聞いた。そしたら行かれるその後には、またすぐ元気になられたという話を聞いて、成程佐田のお婆ちゃんに対する、神様の願いが大きいなぁ。いうならばさぁそれは、あなたの自由なのですよと。けどもその自由を、自分の気ままにしよると、本当の意味においての大自由をなくするですよと言うことだと思うのです。
 今の合楽の方達は、今私が申しますように、それこそ世界中の神々が神仏がです、合楽示現活動に参画させて下さいと、言われるほどしの大変な事を、じかに合楽の人達はそれをです、そういう大使命を感じなければならない時なんです。そこにですいうならば、有り難い意味においての歓天喜地、神様も歓んで下さり、私共も歓べれる世界というものを顕現して行くか行かないかという、今岐路にあるような時代なんです。
 一つ間違うた寒い天危ない地と言う様な寒天危地の、その境にあるような時です。だからこそ神様が25年間もの修行を、私共に求められたのです。そして世界中に広げて行けれるだけの内容の光が蓄えられたのです。それを世界中の神仏が、皆んな解られたんです。私共の先達である所の小倉、福岡、又は久留米、甘木と言う様な大徳を受けられた先生方ですらもです。私のいうならば私を中心にして、神様が計画をなさった運動に、参画しようとなさっておられるのです。
 そこで皆さん自身が、本気でその運動にです、その活動に参画さして頂こう、合楽示現活動運動に、参画させて頂こう。私は今度あの高い塔に、こういうふうに書いても貰おうと思うんです。「祈願 合楽示現活動に参画」と。示現の意味も参画の意味も、繰り返し申し上げておりますから、お分かりなっておられましょうけれども。示現と言う事は、愈々神仏が不思議な力を現す、示すと言う事だということなんです。参画と言う事はです。そういう計画にです、預かると言う事なんです。
 これは大辞典が示す所の意味合いです。参画と言う事がです、そういう計画大きな天地の親神様の、ご計画にあずからせて頂こうというのですお互いが。だからあずからしてくださいという願いを立て、思わなければいけないと言う事です。そのためにです、私共の自由は神様へお供えして、それこそ大自由のおかげの頂けれるおかげを頂いて。それこそ人の救われること、助かって行く事と言う事にです、お互いが大使命を感じさせて頂くならばです。そういう有り難い働きが。
 燎原の火のごとく勢いをもって世界中に広がって行こうというのです。そういう一つ、使命感て言うか、そういうものを、私は皆さんが実感して下さる。そういう一心を出すとです、すぐにおかげが受けられる。自分の願っておるとか思うておる、今私が申しましたね。本当の極楽と言う事がです、ここに金の自由が与えられたら、もう家は愈々言う事ないばってんと。
 家の家庭は本当にここん所が円満にさえなっていくならば、もう言う事ないけれどもと言った様なものを、お互いがまだ持っておるんだと事実は。けれども無理にそれもおかげだと頂いて、極楽にという示現。いうなら極楽のお互いが確認させてもらって、合楽示現活動に参画しようと言っておるわけですけれども。それにはいうならば大自由のおかげを頂いて、全ての事に大自由のおかげを頂いて。
 そのために一つ、自分を束縛するようになりますけれどもです。それこそ大東亜戦争時代にありましたね。欲しがりません勝つまではと言った様な。今の合楽ではです、例えば断ち物。酒は飲まんとかお茶断ちをするとか、水をかぶるとか、火の行をするとかと言う様な事は、もう是は愈々そういう修行からは卒業した。それで愈々心行。今私が申しますのは、いうなら心行にあたるのです。
 自分から贅沢しようと言った様なものから、卒業する事です。そして銘々神様が求めて下さる修行。いうならば、自然の成行きの中に起きてくる。苦いも甘いもです、それを一応は合掌して受けて行けれる修行に、愈々本気になるのです。上野先生が頂いておる御教えじゃないけれども、それこそ、白露をこぼさぬほどしの、いうならば精進をさせて頂くと言う事です。その次にです、その向こうにです。
 秋のうねりがありいうならば収穫がある。その収穫こそが大自由のおかげであると、私は思います。今合楽の皆さんはねそういう大変な時期に。そういう大変な活動が始まろうとしておる時に、合楽にご神縁を頂かれたと言う事はです。いうならば神様が世界中から選りに選りすぐられた選民、キリスト教的に言うと選民と申します。選ばれに選ばれた私達であるという自覚に立ってです。愈々真実只今申しました様な信心に精進さして頂かなければならんと思います。
   どうぞ。